ウルトラマン編
メイキング撮影:タルカス 加藤文哉
今回の撮影場所に使われたのは、都会の喧騒に佇むビルの屋上。
撮影は、ウルトラマンのイメージに沿うよう周囲のビル群を背景として活かす形で行われた。
フィギュアのポーズが最も格好良く見えるよう、いろいろなアングルが試される。

カメラアングルをいろいろと試しながら、被写体となるフィギュアに表情をつけていく。

ウルトラマンといえばやはりビル群に立つヒーローのイメージ。
周囲にあるビル群をうまく背景に取り込むことで、そのイメージを形にする。
大島氏の撮影した写真がこちら!
ビル群を背に、ティガの堂々たる佇まいが描写されている。
ランバルト光弾を放つポージングが大空の下で迫力を増している。
筋肉質なガイアのボディが良く分かるアングルで撮影されている。
- ウルトラマンシリーズとは?
- 「ウルトラマンシリーズ」は、1966年1月にスタートした『ウルトラQ』を元祖とする人気シリーズ。
さらに『ウルトラマン』からは怪獣と戦う巨大ヒーローを登場させることで絶大な人気を博し、全国に怪獣ブームを巻き起こした。以後、数多くのウルトラマンと怪獣たちが生まれ、誕生から55年を経た現在でも、日本を代表するキャラクターとして愛され続けている。
インタビュー
特撮の現場は、「待つ」のが僕らの仕事でしたね
――大島さんは、スチールカメラマンとして、『ウルトラQ』から参加されているそうですが、最初に撮った怪獣はおぼえていらっしゃいますか?
さすがにハッキリとはおぼえていませんね(笑)。
僕は、あの当時、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』にもスチールカメラマンとして行っていたので、円谷英二さんとは面識があったんです。
この作品で、特撮の現場は待っている時間が長いと思い知りました。
とにかく『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』で覚えているのは、僕らの仕事が「待つ」ことだったことです。準備が終わるまでひたすらじーっと待つ。
本番は一瞬ですけどね。ようやく準備が終わったと思っても、円谷英二さんがカメラを覗いてチェックして「これじゃだめだ」とやり直しになることも何度もありましたよ。
円谷さんのこだわりはすごいものがありましたから。

もちろん、ただ待っているだけじゃなくて、空いている時間に怪獣のスチールを押さえたりもしていました。
そういう時は同行していた「少年マガジン」編集部記者に着ぐるみに入ってもらうんです。
後に「テレビマガジン」の編集長を務めた田中利雄さんも入ってましたよ。
今はもうそんなことはしていないと思いますが(笑)。
――特撮シーンの撮影というと、火薬を使ったシーンなどは大変だったのでは?
最初の頃は背広で行ってたんです。
何を着ていけばいいのかわからなかったんですが、一応他所様のところに行くのだし、最初が肝心だなと思ったから。
「そんな恰好で来られるとこっちが困る。ダメになってもいいジャンパーなどでいいんですよ」と言われましたが、その通りでした。
火の粉が飛んできて、背広も何着かダメにしましたからね。火傷もしょっちゅうで。
――撮影現場では、スタッフとの人間関係を築くのも大切な仕事だとお聞きしました。
現場は緊張感でピリピリしていますからね。時には「邪魔だよ!」と怒鳴られることもある。
そういう場所で仕事をする上で、スタッフとの人間関係を築いておくのも、僕らにとっては大事な仕事なんです。

そうしておけば、時間がない中でもこちらのリクエストを聞いてもらえるようにもなる。こちらの仕事を理解してくれてね。
だから僕は、時間があれば監督ともよく飯を食いに行きましたよ。
成城のとんかつ屋にはよく行きました。
昔、円谷さんの作品のスチール撮影に行った時、大雪で帰れなくなったことがあるんです。
その時円谷英二さんが「うちに泊まりなさい」と言ってくださったんです。
「いえ、車で寝ますから」と固辞したら、寒いだろうからと毛布を持ってきてくれたこともありました。
スタッフと親しくなっておくことの大切さを感じましたね。
そこまで懇意にならなくても、スタッフにきちんと筋を通しておくのは大事なんです。
――『ウルトラセブン』の後、大島さんとしては「ウルトラマンシリーズ」の現場はだいぶブランクがあくことになりますが。
やはり『ウルトラマンティガ』から『ウルトラマンガイア』の3作は、ひさびさのシリーズということで活気がありましたね。
昭和の頃と比べるとやれることもかなり増えました。
佐川(和夫)監督が考案した、ウルトラマンガイアが着地すると土煙が盛大に舞い上がるシーンとかね。
僕もだいぶ土を被りました(笑)。特撮の現場も連日撮影が深夜に及んでいて、僕も帰れなくなり、次の日もあるからというのでホテルに泊まることもしよっちゅうでした。佐川監督といっしょに泊まったことも何度もありましたよ。
――今回撮影されたフィギュアについて。ずっと本物を撮影されてきた大島さんからご覧になっていかがでしたか?
いやよくできていると思いますね。昔に比べてもずっとよくなっていると思います。この重量感もいい。
スーツの質感もよく再現されているし、当時見ていたファンもこれなら喜ぶでしょう。僕も、ちょっとゲームセンターを覗いてみたくなりました。
あえて贅沢をいえば、手だけでも動いてくれたらなと思いますね。そうすれば今回の撮影もせめてポーズに変化がつけられたのにと思います。いずれそういう部分も改善されていくのではないかと楽しみにしています。
- 大島康嗣(おおしま・やすじ)
- 1942年8月1日生まれ。埼玉県出身。1964年に講談社写真部のカメラマンとなり、「週刊少年マガジン」のグラビアなどを担当。『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの「ウルトラマンシリーズ」や、『仮面ライダー』などのスチールカメラマンとして活躍。以後、数多くのヒーロー番組を撮り続けてきた。